Zuihitsu

何が誰の役に立つか分からないご時世なので、好きなことを好きなだけ。7割自分用メモ用紙でごめんなさい。

おべんとう展@東京都美術館

bento.tobikan.jp

会期終了して1ヶ月以上たっとーる。
期間ものの感想というのは、会期中に書いてこそ役に立つ。と、分かってはおります。
しかしながら、食事を持ちはこぶ以上のお弁当の意味を高解像度に伝えてくれる素晴らしい展覧会であったので、その展覧会が伝えたかったことが少しでもこうして残せたらと思います。

さて、食事を持ち運ぶ以上のお弁当の意味とはなにか?
お弁当をコミュニケーションデザインの文脈で捉えて作品を集め、編集した展覧会を見事に成功させたプロデューサー、キュレーターの方々への敬意を払わずにはおれません。
作品それぞれの見応えはもちろんのこと、この展覧会においては編集力の強さがかなり効いていると思います。

開催概要から一節引用させて頂きます。

誰かが誰かのために作るひとり用のお弁当は、その一つ一つに作る人と食べる人をつなぐ物語があり、作る人から食べる人への贈りものともいえます。(中略)食べる時や場など、その人を取り巻く状況をよく考え、食材をよく見て、食べる時間や空間をデザインするかのように、箱の中に丁度よく詰めていきます。

私も節約のためにお弁当を度々つくりますが、なんとなく家族も含めて他の人へは作ってあげられる気が全くしない。
これってなんでだろうって考えると、言葉以上の想いとメッセージが食べる人に対して顕されてしまうから、そしてそれがうまく表現できる気がしないから…ってことなのかなあ、と思ってみたり。数時間後の自分を労るところからはじめてみようかしら。
なんとなくお弁当の見え方、変わってきませんか。

以下より、お弁当のコミュニケーションデザインという観点で気になった作品について書き連ねていきます。

近現代までのお弁当、世界のお弁当

江戸時代にも弁当があったんだ、と思いましたが、よく考えれば「日本むかし話」とかで見かけたような大きい笹の葉に包まれたおにぎりとかもそうかなあと。
しかしながら、飾られているハコは実はデコラティブなものばかりです。そういうものだからこそ残っているだけかもしれませんが。
主目的は宴や身分の高い人々の花見など。ものすごい美意識がかいま見られる完璧な「インターフェース」に違いありません。

世界のお弁当はなんとなく東南アジアのものが多かった印象です。米文化でも影響しているんだろうかな〜と思いつつ、そのあたりの背景は理解できずでした。

「あゆみ食堂のお弁当」

読者からの「誰々にこんなお弁当を作ってあげたい」というお便りに応えて、大塩あゆ美がお弁当を作り、平野太呂が撮影し、読者にレシピとお弁当箱が届けられるプロジェクト

朝日新聞で連載されていたそうです。お便りとでき上がったお弁当の写真をセットで展示。
人々の想いや背景とできあがったお弁当を見比べると、お弁当がいかにコミュニケーションデザインであるか、最も分かりやすく感じられる展示群でした。

あゆみ食堂のお弁当 23人の手紙からうまれたレシピ

あゆみ食堂のお弁当 23人の手紙からうまれたレシピ

 

「お父ちゃん弁当」

幼稚園に通う弟のために、小学生の姉がお弁当の指示書を書き、父親である小山田がそれを作ります。

この一家のコミュニケーションの媒介物、メディアとして使われているのがお弁当でした。
なんというか、父「昨日学校で何があったの?」娘「えっとね」という会話がそのままお弁当になって、「へえ〜そうなんだ」と、弟がパクつくようなかんじでしょうか…。もしかしたらお弁当である必然性はなかったのかもしれないし、「あゆみ食堂」みたいな分かりやすいお弁当コミュニケーションのアウトプットでもないのですが、こんな風にお弁当が表現されていることは純粋におもしろいです。
あと、娘の発想が自由過ぎな。(素晴らしい)

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「さか道」「さつまいも」「白サギさま」だそうです
※ここは撮影OKでした

「Making of BENTO」

森内康博は、中学生が親の手を借りず自分でお弁当を作る様子を子どもたち自身がドキュメンタリー映像にするワークショップを行い、そのプロジェクトを映像作品として展示します。

長野県の公立中学校が舞台だったと記憶しています。数時間後の自分のために何をつくろうか?ということを自分で考えて、その過程も見える化してしまうというのはすごいコミュニケーション教育だなあと思います。映像づくりや食育に限らないところにこのワークショップの本質はあるんじゃないかなと。そもそもいかにもクスッと微笑ましい気持ちになるような内容だし、本人たちもさぞ楽しかろうな。このプロジェクトを押し進めた先生にも敬意です。

そのた

マライエ・フォーゲルサング「intangible bento」…お弁当の精霊さんから食物に関する色々を教わる。結構辛辣なことを色々言われてぐさぐさ来ます。食べ物を大切にするようにとの戒めに、頂いたポストカードを思わず冷蔵庫に貼っております…。

北澤潤「FRAGMENTS PASSAGE -おすそわけ横丁」…いろんなところから「おすそわけ」された物品が並ぶ比較的大きな展示。そのコミュニケーションの形はお弁当から着想を得ているのだそう(そうなんだ)。どこの観光地でもらったかよく分からない記念品とかカセットテープ、ふる〜い雑誌・文庫本、謎の置物など種々雑多。「おすそわけした人」側に立ってみると、「あーあるある、家にそういうのある……(でも捨てられない)」という気持ちになるし、純粋に観覧者の側に立ってみるとその物品の背景を無駄に慮ったりしておもしろい。人の手を離れるとなんでも見え方が変わる。(う〜ん、確かに前述してきたお弁当のコミュニケーションに形は近いか…)